製造業は日本で最大の産業である。多くの雇用を生み出し、素材や自動車などで多くの外貨を稼いでいる。その日本の製造業の強みとして挙げられるのが「現場力」だ。国内製造業の躍進の一端を担う現場は、海外と比べて何が違うのだろうか。
それを考える上で重要なのが、「アメリカン・ファクトリー」というドキュメンタリー映画である。舞台はアメリカのオハイオ州。工場の現場を通して米中の文化の違いを描いた作品で、閉鎖された自動車工場跡地を中国企業が買収するところからカメラは捉える。職を失った現地のアメリカ人たちは工場再開を喜ぶが、安全を疎かにする中国人のやり方が合わず、労働者としての権利を声高に主張し対立を深めていくのが大まかなストーリーだ。
この映画に日本は登場しないが、米中の現場と比較すると日本の現場の優位性が浮かび上がってくるようだった。
中国人は厳格な管理体制の下で能率ばかりを重視する傾向がある。一方のアメリカ人は型にはまった作業ルーティンを嫌い、能率を意識していない。
翻って日本はどうだろうか。規律を重んじるという面では中国の工場と近いかもしれないが、効率を追い求めるあまりに安全を疎かにする詰めの甘さはない。かと言ってアメリカとも違い、日本には日本の独自性が確かにある。
その独自性が現場力であり、日本の現場力とは、すなわち現場主導の改善活動だ。日本の工場で働く人たちは勤勉で、一人ひとりがよく訓練されている。彼らは現場にムダがないかを見て回り、知恵を絞って効率的な作業方法、生産性、品質を追求してきた。
中でも得意とするのが、オペレーションの効率化だ。動力を使わない「からくり改善」や「トヨタ生産方式」もオペレーションの効率化を追求したものである。
トヨタ生産方式は徹底して現場目線でオペレーションを作り込んでいき、それがやがて理論として構築されて世界中に広まったのである。
しかし、日本のお家芸とも言えるその現場力がいま、岐路に立たされている。
デジタル化の波
ドイツ政府が提唱したインダストリー4.0(第四次産業革命)をはじめ、世界の潮流はデジタル技術を活用したスマート化だ。工場のスマート化の中身を簡単に言うとこうなる。
まず産業用ロボットやセンサーから現場のデータを吸い上げ、デジタル空間でシミュレーションをする。シミュレーション結果は現場へフィードバックされ、設計から生産計画、製造、品質までを最適化していく。産業用ロボットや各種センサー、AIが働く無人の工場では、オペレーションの見直しはデジタル上でシミュレートできてしまうわけだ。
しかも、欧州はただ自社工場をスマート化するのではなく、その仕組みやノウハウをソリューションとして外部へ売り出そうともしている。
たとえばラインビルダーと呼ばれる企業がそうだ。生産ラインの設計から機器の選定、製造ノウハウまでを一括で提供しており、ノウハウのない新興国の企業はラインビルダーを活用すればすでに最適化された生産ラインや製造方法を導入できるわけだ。
ドイツなどは、サプライチェーン全体でデータを共有できるプラットフォームの構築にも取り組んでいる。中でも「Catena-x」は自動車業界におけるデータ共有の仕組みを標準化し、オープンなネットワークを形成することを目指すもので、企業の枠組みを超えて効率化、競争力の強化に取り組む。
彼らは標準化されたシステムや製造方法をサービス化して新興国に売り込み、ビジネスを拡大しようとしている。もちろん、ノウハウの核となるものは秘匿して企業としての優位性は保つ。日本のように一つ一つのオペレーションを改善した結果、その工場独自のやり方が生まれるのとは対照的なアプローチである。サプライチェーン全体の最適化を考えればどちらのアプローチが良いかは明白で、日本が誇っていた現場力は強みではなくなりつつある。工場のスマート化もそれに追い打ちをかける流れだ。
しかし、日本の体質を非難することはおそらく正しくない。繰り返しになるが、日本の製造業が今日の栄華を極めたのには、間違いなく現場主導で物事を考える体質があったからだ。
かつて蒸気や石炭を動力とした第一次産業革命では、イギリスが世界の工業をリードしていた。それが石油を動力とする第二次産業革命に入ると、ドイツやアメリカなどの国が台頭し、イギリスはかつての力を失っていく。
国際政治学者の高坂正堯氏は『現代史の中で考える』の著書の中で、その原因をイギリスの社会的な体質や文明に求めた。イギリスの社会的体質は「第二次産業革命が要求するものとは適合しなかった」と述べている。
いま世の中は、第四次産業革命に入っている。第三次産業革命が要求するものは、ボトムアップ型で現場改善を行う日本人の体質に合致していた。しかしこれからの製造業は、デジタル全盛の時代になり上位の概念から工場を、サプライチェーンを作り込んでいく必要がある。そのような時代の中で日本のような改善活動を行う余地は少なくなるはずだ。
その時、日本はどうするか。イギリスと同じ轍を踏むのか。国内製造業の現場が試される時である。
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